share the sun Vol.01

2013。

Theme of share the sun Vol.06

一年いろいろありました。
始まったこと、終わったこと。
残したこと、続けること。

今年ラストは、単刀直入。

share the sun Vol.06
「2013。」



12/20(金)締め切り。
*今回の締め切りは、金曜日です。
【フォーマットダウンロード】
Word形式とリッチテキスト形式のファイルが入っています。お好みで。

2013~2014へ(Dear 稲田)

春木 靖隆(つるつる)

今年は怒涛のような一年だった。
独立を計画し(2012だが)、出資者を探し、オーナーを説得し、物件を探し、内装を考え、稲田にホームページ作成、スタジオ撮影などを依頼し、店舗完成!!
それまでは、毎晩仕事が終わってはネットで内装には何を入れるかを検索し、考え。
休みの日にはホームセンターを駆け巡り、より良いものをと探し回った!!
そんな中、印象深く覚えているが、稲田にホームページを依頼した際、以前働いていたスタジオのホームページも簡単でいいから作ってくれ!とお願いしたときだ!!
『とりあえずなら作りたくない。』
感銘を受けた!!
仕事に対するプロ意識。
それならと、、、
今のホームページを作ってもらう時、拘って、拘って細かい所も注文して何回も訂正しながら完成した。
本当にプロ意識が高い奴だと実感した時だった!! 
普通なら『えーー』とか嫌な顔してもいいところだが、何一つ文句言わず『わかった』『やってみる』しか聞かなかった。
こいつはスゲー!!

そんな地元からの友達、稲田と仕事ができ、楽しく、充実した仕事だった。

と話は変わり、毎年年末が近づくと思うのが、『自分は成長できたのだろうか、、、』
みんな思う事ではないだろうか??
目に見えて成長できてるのは筋肉だけだろう!!
2013年も色んな出会いがあり、色んな話を聞き、仕事の人脈も増えた。
必ず成長していると思う。
僕は何にでも満足は決してしない。
しないようにしてることもあるが、上には上がいる事を知っているから。
そんな中到底満足はできなし、そっちの方が気分もいい。
常にハングリーな気持ちで、2014年は東京に店舗を増やし、福岡にも店舗を出し、借金返済!!!
そして遊びまくる。

気合だ!!

2013年

CHM
映像制作

去年1年やってきたことが1歩前進し、知り合った人達とは親しくなれた1年でした。

僕にとってのこの1年はアニメイヤーとなりました。今年に入りアニメを録画して見る様になり、1クール終わるごとに録画本数は増えていき、今は一週間に10本近く録画してます。

ここまで増えてくるとどうなるかというと、HDDを消化するために録画したアニメを毎週消化しなければならなくなり、毎日帰るとアニメを見るという生活に。

これには疲れました。

もう心情的にはアニメの奴隷です。

見たいから見てるのかも怪しくなってきてます。

来年は減らします。


今年はSTSを始め身近なところでいろいろな事を始めることが出来て面白い1年でした。
来年は更にいろいろな事をこの場にいる人を含めみんなで出来たらなと思います。

来年も宜しくお願いします。

RYDINGMAN SHOW Vol.01
「2013」

稲田拓郎
Webデザイナー


今年やりたかったことを、滑り込みでやり切りました。
想像通り難しかったですが、発見もたくさんあったので、やってみてよかったです。
お話、しゃべり方、タイミング、ちょっとのタイミングで全く変わる面白さかつ、難しさ。
それを一発勝負でやってのける芸人さんは本当にすごいです。
ONのお二人、ご協力本当にありがとうございました。


今年は思ったことをやってみるってのが、結構出来たような気がします。
何をやったかはあんまり覚えてないですが、良い傾向だと思います。

ぶっちゃけ自分でやるのは簡単です。
自己満でいいし、時間さえ作ればできるのですから。
難しいのは他人を巻き込むところ。
迷惑を掛けたくないし、つまらないと申し訳ないし、
ちゃんと説明しないといけないし。
ひとりでやるより、何百倍もめんどくさいです。

なので、ひとりでものづくりをすることが好きです。
僕に何かを頼んでくれる人もいますが、人に何かを頼めるってすごいなぁと毎回思います。
(尊敬の念です)


ただ僕も、そろそろ重い腰を上げないといけない時期な気がします。
ひとりの限界って訳ではないけど、ひとりだと何も広がらないってことに向き合わないといけないです。
いつも心の端っこにある、「誰かと、ものをつくりたい」ということをしないといけないと思いました。

ということで、来年はみなさまにいろいろお願いすると思います。
不束者ではございますが、何卒、よろしくお願いいたします。

それでは、良いお年を。

27歳

Muneto
Mover

『2013』というテーマを見て、最初に2013年を振り返ってみた。
昨年の大みそかに掲げた今年2013年の目標は「良い(正しい、美しい、面白いetc…)と信じることならば、責任とプライドを持って継続する。」ということだった。当時と今では自分自身の中でも解釈は異なると思うけれど、今年の自分はこの目標を心のどこかに置きながら過ごしてきていたのだと実感している、今。目標は常に意識していたわけではないけれど、結果を考えてみると、2013年の僕を動かしてきた主軸であったと思う。
まず、できたことで浮かぶのは継続の1年であったこと。ビジネスパーソン的な観点で、昨年4月に人事異動というやつで東京に伺い、今年も同じ部署で働かせてもらっている。昨年とほぼ同じルーティンで活動していることもあり、以前より先をイメージしながら仕事できたということ。来年はおそらく東京を離れることになるだろうと覚悟しながら今のところ過ごしている。
いわゆる慣れてきたということもある。仕事、やらなければならないことが、ある程度安定したことで、やりたいことが進歩したはずで、できなかったことができたような気もするし、敬遠していた分野にも僅かだけれど、アプローチしつつある。
また、プライベートにおいて、今年から新規に取り組み始めたことがあり、それを少しずつですが続けていること。
さらに、なにより、髪が伸びていること。
いずれも、続けているから、変化していると感じられることで、意外にできるものだとも思っている。髪は、伸びる、伸びた。
ただ、いまいちだったこともいっぱいある。良いと信じたことにプライドを持ち切れずに、あきらめたり、信じていないふりをしてきたこと。自分が良いと思っていても、他者がNGだと反応すれば、便乗して自分の意志を推し進める勇気がなかった。それでも、たまに、批判されるのを覚悟で主張してみると意外に賛同してもらえることもあり、まさにdon't think feelであると何度も教えてもらった。
それが、どのようなテーマであったとしても、考え方は様々で無限で、自分の見解が全く間違っているということは少ないわけで、それならば、少数派であったとしても、主張した方が自分にとっても、他者にとっても前向きなことであるはずで、勇気をもって踏み出すべき。
とは、頭では分かっているつもりですが、この課題を意識しはじめた、約13年くらい前から克服できていない。
考えながら動くこと。計画は大切だけど、それに執着してはもったいない。もっと軽快に潔くあって良い。
2013年もまだチャンスはある。最後の最後まで、しっかりと2013年を全うして、2014年に参加したい。
それにしても、2013年もhappyな時間だった。結局のところ、そういうことなのですね。
僕には、永遠にhappyしかない。それも理解している。

そういったところで、今回もありがとうございました。
お相手は、Mover Munetoでした。

レモン色の家の話

鈴木 杏奈
港湾労働者

2012年の年末、梨園の革命児がこの世を去った。
この出来事は、歌舞伎界とは縁もゆかりもない鈴木家にも少なからずの動揺をもたらした。
まるで、バタフライ・エフェクトみたいに。
自分よりはるかに年下の人間の死のために祖母許子が失意に沈む中、鈴木家では家族会議が召集され、ある決定が下された。

『カナリアを飼おう。』
果たして、歌丸と名付けられたレモンイエローのカナリアの歌声と共に、鈴木家の2013年が訪れを告げた。

私は歌丸になかなか会いに行くことができなかった。年が明けて、論文を提出してからというもの、なにかに憑りつかれでもしたかのように旅に出ていたから。
しかし、私がどこかの空の下を歩き回っている間、小さなカナリアの存在は着実に効果を上げていた。

毎朝覆いを外し、水を替え、キャベツをちぎっていれてやる。すると、まだ夜も明けきらないうちから、カナリアは軽快にさえずりはじめる。
窓の外でネコが舌なめずりをしていれば怒って追いやり、あたたかい陽だまりができる時間には鳥かごのそばで洗濯物をたたむ。
夕闇が顔を出し始める頃にはカナリアの鳴き声もさやかになり、ゆっくりお休みと布をかけてやる。

3か月に1度ほど、横須賀に帰ると祖母となんていうことのない話をする。具合の悪い時には、寝そべって天井を見上げたまま。耳が遠くて同じことを繰り返す祖母は言う。
「あんなちゃんはいいねえ。若くて今がいちばんいい時だろ。まだまだこれから楽しいことがたくさんあるよ。」
その言葉がききたくて、またカナリアのいる家に帰る。

居候

平原慎士

帰国して、2年になる。2011年に大学を卒業した後1年間福岡で過ごし、去年上京してからいつの間にか1年が経った。この1年は、これまでとこれからがはっきりと結びつくような日々だった。
それも一重に、彼がいなかったら今の自分はない。と言える人物がいる。誤解のないよう付け加えると、妙な感情は一切ない。

高校一年生、古びた廊下-「名前がなんか175ライダーみたいに聞こえるなー。」

覚えている限り、記憶はそこから始まる。

 天体観測、ゆず、唄人羽、ジューク、、、とりあえずわかりやすい青春ソングを歌っていた。そのためか、今でもギターを弾くとたちまち周りがギター部室になる。

 いつも眠そうなのは授業中も変わらない。そして昼休み、彼の持っているおにぎりをねだる。放課後、ゲームでワールドカップ優勝を数日かけて達成した。夏休み、能古島へ遠征に行く。着いて3時間後には「帰りたい」と言い出す。それから帰りたい病が度々発病するようになる。

 間違っていなければ、本気でデザイナーになると言い出したのも、高校二年生ぐらいからだったかと思う。

「冷めた目の奥でもっとも熱い」ともう一人の友達と彼のことを言っていた。今でもそう。

自分のやり方をずっとやり続けているのは、当時から変わらない。何時でもショートカットの道を探りながら、一番地道に突き進んでる。教室でもフォントの話をして、アメリカに遊びに来た時もお店の何てことのないロゴを撮り、未だにオシャレなカフェでカメラの色味の話をしている。

 本当に何も変わってないね。
 
いろんな事に感謝し尽くせません。
ありがとう。