share the sun Vol.01

乗りもの。

Theme of share the sun Vol.02

「最高の離婚」というドラマ(2013年)のなかで、
モテるチャラ男(綾野剛)がいました。
彼は女の子と待ち合わせのとき、いつも自転車で登場します。
これが20年前のトレンディドラマなら、
モテる男はきっと車で登場するはずです。

人々は彼らに何を求め、
そして彼らはそれぞれの車で、自転車で、
どんな風景を見て、何を思っていたのでしょうか。-

みなさんは「乗りもの」ときいて、何を考えますか?
今月のテーマは「乗りもの」です。

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己中心的希望的観測

椋野 裕貴
stylist

どうせ僕みたいなシラフの酔っ払いなんて内心軽蔑してるでしょ?
一方通行で過去にしか永住権を持てない 
社会の底辺で愛を叫ぶ ゴミ野郎だと軽蔑してるでしょ?
言っていいよ 運転手さん 軽蔑してるでしょ? いいよ 口にしなよ 運転手さん 軽蔑してるでしょ? 頷いて答えてよ 「まぁ、そうですね。」って 僕も自分がキモイっすよ 運転手さん 僕なんかに道を訊かないで あなたもプロだろ?
夢先案内人/長澤知之(一部抜粋)



マニュアルからオートマティックに変換してきたこの世界で
自分の生き方だけは自分でハンドルをきっていたい。
誰かの意見を聞くことも、誰かに流されることも大事だと思う。
イエスマンでもかまわない。
ただ、それが自分の意見であること。
多様化されてきたこの世界の利点が、オンリーワンが存在するために変換してきたことを願う。




と思っても、これは気の迷いかもしれない。
生きていて答えなんて、どこにあるだろうか。
何が良くてなにが悪いのか。
というか、はたして良い悪いは存在しているのか。
もうなにを書いていいのか、わからなくなってきた。

とshare the sunという乗り物に乗って中から見た内の風景と外の風景を
見てる気持ちで書いてみた。

自転車にのって

大谷 哲朗
俳優

実家は愛知県の知多半島にありまして
大学をやめ仕事もしていない時期に
小鳥なんか追いかけたりして遊んでいまして
そんなある日ふと思い立ち
大阪にあるじいちゃんとばあちゃんの家に
自転車で行ってみようと


季節は春も終盤に差し掛かる
"23号"と名付けられていた
6,990円のそのママチャリに股がり
リュックに防寒具と地図とみかんを1つ
半島を出たのは15時を回ったところ


いざ出発

実に気持ちのいい天候にて
ペダルは順調に回る
国道55号線を北上し
電車で通い卒業した高校のある地に辿り着き
最初の休憩をコンビニにて
とあるルールが定められた


コンビニ休憩で買うものは
コーラのみ


オリンピック開催が迫った当時
コーラを買うと
国別リストバンドなるものが
もらえたので
この旅で何カ国集まるか
サブの目標が設定された瞬間だった


名古屋を越え
三重の手前に来たときに
初めておしりが痛くなった


右けつ重心


左けつ重心

              荷台に座る

                     立ちこぎ


様々な方法でなんとか"23"号を進めていまして
やっとのことで県を跨ぎます
感動もさることながら
問題はここから
ものすごい逆境が僕を襲う


桑名の道を優雅にこいでましたら
右側をもの凄いスピードで
おじいちゃんが通り過ぎます
ロードバイクなるものを
振り回したじいちゃんが
爆走していました


スイッチオン

闘争本能に火が付き
桑名のじじいを

追いかける 
     追いかける 
          追いかける

                  見えなくなる

負けました
ついでに体力がなくなりまして

このあと時速80キロの2トントラックが通る歩道なし自転車禁止の国道を突き抜けたり


霊園の中を心臓半分飛び出しながら進んだり


コンビニで我慢できなくなって買ったがアスファルトに落としてしまい
ふーふーして食べたチキンでお腹痛めたり


散々な目にあいながら
ある分岐点に着きました


いよいよ高速級の国道25号を通れず

地図で見つけた山道を通る小さな25号線を走っていたら
右へ登る道と左へ下る道
                      右に進みました


真っ暗なトンネルがありました


引き返します


左へ進みました
線路が見えましたが
その向こうは森になっておりまして
何も見えず


引き返します


悩みました


この先どんどん三重県の山奥にさしかかる
街灯もない小さな国道25号線
時は22時を回っており


遭難必至


とある決断


来た道を引き返すことに
半べそかいて
興奮冷めやらぬまま
ペダルをこぎます


ようやく戻った名古屋市内
ほっとした
午前2時の牛丼屋


眠気


安心したのでしょう
でもこぎます


帰りの55号線は意識がありません
午前5時半頃
隣町の駅前で警察に止められる


寒かったので
防寒具として持っていた
真っ赤なウインドブレーカー
上下に着ていたから
止められた


鞄の中身を確認された
出て来たのは


地図とみかん


警官のどこから来たの
という問いに正直に
亀山の向こうからですと答えたら

                     怒られた

10分ほどかけて説明したら
           そういうバカ好きだよ


と言いながらポンポンっと
肩を叩かれた


無事家に着いたのは
午前6時


    のべ15時間自転車をこぎ続けた
              そんなモラトリアムな思い出でした

稲田 拓郎
Webデザイナー

ノアの方舟からF1まで、
乗りものはいろんなものを乗せる。

馬車、船、自動車、電車、飛行機。人・物の輸送手段として進化を遂げ、
人類は常により良い方法を模索している。

結論から言うと、乗りものは人類の夢を乗せている。


つい先日、H3ロケットの開発にGoが出た。
今まで日本は、H2A/H2Bロケットを開発し、順調に成果を挙げた結果。
今年は、イプシロンロケットも打ち上げ予定とされる。
イプシロンロケットは、パソコン2台、計3人で打ち上げられるにも関わらず、
今後は有人飛行まで可能にするロケット。

宇宙には夢がある。
人類最大の謎のひとつで、こういう一歩一歩が、
宇宙の端っこを解明していくのだろう。


しかし、ここまで軍事産業に近い夢も珍しい。
ICBMと呼ばれる大陸間弾道ミサイルがある。
これとロケットは別物ではあるものの、同じ軌道上にある技術で、
大きな違いは、宇宙に向けるか地上に向けて誘導するか。
そしてそれを迎え撃つのも、RIM 161 SM-3、PAC3などのミサイルだったりする。


みんなも知っているように、インターネット・GPS・管制塔のレーダー・医療産業まで、 この世界は、軍事産業から生まれたものであふれていて、それなしでは生きていけない。
逆に、農家を支える安全なピックアップトラックが、 丈夫でたくさん武器を積める乗りものとして、紛争地域でブランド化している。

僕らはそんな産業のある経済に支えられて、
明日がある平和な世界を生きている。


乗りものは人類の夢を乗せていると書いたけど、
人類71億人、みんな夢は違うもの。
おばあちゃんの送り迎えから、世界征服まで、
いろんな夢を乗せて、乗りものは今も進化を続けている。

僕は、そんな世界でも進化を続けていくべきだと思う。
と言うか、節約術にしろ、デザインにしろ、科学技術にしろ、
もっと良いものにしたいという欲望は止められない。

今の日本は無宗教に近いため、何かの教えに沿うということは少ない。
それでも、モラル・道徳で成り立つ非常に優秀な人間が集まっていて、
何にも縛られない自由な思考ができる。

その進化を信じて、ハッピーな未来を信じて、僕は生きている。

のりもの

のりかたいろは

あちふみか
rythmique/create/perform
sucre

のりもの の窓から外を眺めるのがすきです。
過ぎ行く街並みも、日の沈む夕暮れも
いつもよりほんのすこしドラマチックにしてくれる音楽を。

季節の風達/空気公団

おくふじ あゆ美









海へ いつかの車のうた





ギンガムチェックの夜を走る

ブルーチーズみたいな夢



なっている なっている 小さめのビートルズ 横顔の口笛

通り過ぎる 通り過ぎる 遠回りの風 目薬の味



握っていたのはからっぽのカメラ
気にしはじめたのはとれかけのボタン

まるで明日のようだと 後ろの方で目をこすった



揺らめく灯を吹き消されても
揺らめく心を飲み込まれても



嗚呼 このままで このままで



夜空にレモン搾って 波の音を肩に羽織って
月と寄りそいフロントガラスで切りとった



ギンガムチェックの夜を君と走る

君と見たブルーチーズみたいな夢











本当は飛行機の話をしたかった。
本当は車の免許をとりたかった。
本当はお父さん、小さい頃パイロットになりたかった。


本当の話をしたいんだ。
本当の話が聞きたいんだ。


あの時も あの時も またあの時も。


1から12までの道のりを
二本足は同じリズムで歩んでいるだろうか。

瞬きするうちに夜が逃げてしまうよ。


嘘は優しさに耕されたのか。
嘘は悲しみに耕されたのか。


本当はまだ 私というノリモノに上手く乗りこなせてないんだ。


ねぇ 今 
君は君に乗りこなせてる? ときいてもいいかな。

バスティン・チャンドラーのワールドピース
〜怪しい依頼と訝しい車〜

風谷 哲縁
作家

 FBI公認の泥棒。それがオレたちの仕事だ。FBIから直接依頼を受け、任務を遂行し高い報酬を得る。もちろん危険な仕事だ。犯罪組織の内部に潜り込むことはもちろん時には人を殺めることもあるし、なんたってポリスにみつかってもFBIはかばってくれない。つまりやってることは犯罪行為ばかりだ。法を犯したやつを退治するには法を犯さなきゃ対等じゃないだろう?
 この間の件もそうだがオレたちは奪ったファイルの中身が何なのかは知らない。ただ盗めと言われたから盗んだまでさ。中身が気にならないかって?どうせ組織の顧客情報や金や薬の出所、ボスの腐った趣味の画像とか小テストの答案、近所のスーパーの価格表とか日記とか、、、オレに関係はないさ。ジャポンにはいい言葉がある、知らぬが仏って。ワビサビや武士道の文化がオレにはしっくりくるようだ。

 「バスティン。何にやけてやがんだ。」
 「・・・・・。」
 「オレは反対だぜ。これは地味すぎる。それになんか匂う。」

 ダスクステーションの裏通りである人を待て。それがFBIから出たミッションだった。やるかやらないかは俺たちの自由だ。丸一日、来るかどうかもわからない人物を待ち続けるという地味な仕事にウォルディは魅力を感じないのだろう。しかしこの仕事おかしいのが報酬の量だ。FBIが提示した金額が今までと桁違いなのだ。

 「オレたちの仕事ぶりを評価しただけだろ?」
 「いや、、そんなはずはない。おかしいぜ。」

 いつになく慎重なウォルディにようやくプロとしての自覚がでたのか、ただ地味な仕事がしたくないのかどちらかはわからないがオレも今回は断る気でいた。

 

 当日、遅刻して来たウォルディに説教をたれようとしたところ開口一番にウォルディが言った。
 「昼飯はコーラにハンバーガースーパーサイズ。仮眠もオレが先。」
半分はお前のワガママなんだぞと言いたげなウォルディの態度に、喉から出かけていた罵声も再び胃に収まった。どうやらオレの胃の中にも武士がいて、ワビサビを躾てくれているようだ。

 朝の7時から始まったこの仕事、最初は通勤ラッシュで駅前は賑わっていたがそれも一瞬。昼間を過ぎるとこんな駅は普通誰も利用しない。どこに向っても少し歩けば畑や森や閑静な住宅街。ステーションの周りだけが不自然に発展している。発展といっても建設途中なのか、解体途中なのかもよくわからないありさま。10年前にこの田舎の街を観光地にしようと試みた輩がいた。東には大都市アルガロがあり西側にはこの国一番の工業都市ケイトヒングがあるこの街に、モーテルをただつくるだけでなくアドベンチャーランドや商業施設を建てれば儲かるのではないかと。
事業は失敗した。駅周辺を整えている間にこの街を巨大竜巻が襲い、誰も復興しようとしなかったのだ。国や投資家は冷たいものだ。
そのあとは当たり前のように治安が悪くなり、どこから来たのか分からないギャングたちが何組も蔓延っている。
ギャングたちにとっては都合が良すぎた。国や自治体も目を向けないこの地で彼らが商売をするのは容易かった。今はこのオアシスを巡ってギャング達の抗争がたえないのだ。

 「ハンバーガー買ってくる。」
 「いや今日はオレが行くよ。」
 「飽きたんだよ。少しぐらい自由時間をくれ。」

 そういってさっさと行ってしまったウォルディの背中に妙な違和感を覚えていたところ、この狭い裏通りに一台の黒塗りのセダンが停まった。

東急田園都市線急行南栗橋行

宗登
Servant balancer

お久しぶりですか。
Servant balancerの宗登です。
例えば、僕がビジネスパーソンとして会社に勤めているという設定です。
今日の朝、出勤途中、二日酔いでフラフラしながら、最寄駅から列車に乗車。今回のテーマを拝見しました。考えようと意識はしなくても、考えました。というか、そんな刺激を求めていたのかもしれません。
僕にとって、「乗りもの」と言えば、まずは移動手段がピンときた。でも、ありきたりだなと。何かもう少し普遍的というか、僕らしい目の付け所は無いかと思いを巡らせていました。
そこで、次に浮かび上がってきたのは、主に人間が使うような気がするなということ。移動や輸送する目的で使っているのと、娯楽として楽しみ盛り上がるというような点。
(しかし、この観点から掘り下げていって、まとまるのかしら。まあ、もう少しやってみよう。)
僕の場合はどちらかと言えば、前段で示したように移動手段として、機械や動物を使っているかな。また、なぜ乗りものに乗るのかと言えば、一般的に自らの脚で動くよりも早くたくさん運べるからだと思う。その点で、乗りものという概念はとても知的な文明だと思えてきました。
(ここは多摩川か。間もなく地下に入っていく。)
ものによっては、ただそこにしばらくいると、気づいたら景色が変わっているというような意外なことも起こっている。
それと、こんなのもあるような。
人間と違って、動物は、自らの脚や羽やフィンを使って移動する。そもそも、彼らは、まず生きるために移動しなければならないから、はばたいてみたり、水の中を泳いでいる。それが楽しいからというわけではなさそうに見える。我々には、走るために特化した脚や空飛ぶ翼みたいな進化はなかったけれど、そこへの憧れや尊敬を形にする知恵と工夫が乗りものという形として生きていそう。
(ああ、結局取り留めのない話になってしまった。)
乗りものを移動手段として利用し、遊びとして楽しむこと。乗りものという概念こそ非常に人間臭いなと思いました。
というのが、宗登らしい目の付け所ではないかと決着したあたりで、渋谷に到着。それでは、急いで山手線に乗り換えます。
お相手は、servant balancer宗登でした。
ありがとうございました。

のりものファンタジー

すなおシステム
いろいろ見習い

レギンスとハーフパンツとマンハッタンポーテージのメッセンジャーバックを合わせたコーディネートで極細タイヤのサイクルに乗り車道を疾走することは青山外苑通りのスタバでMacBookAirを操作することと全く同じです。軽快でクールで都会的なライフスタイルの表現であり、そのような都会的ファンタジーへの陶酔です。つまりはサイクル乗りは、外車で隣にパイオツカイデーガールを載せて高速をすっ飛ばすようなカッコよさなんてバブル時代的でクッソダサいんだよ!というアンチテーゼで自転車に乗っていますが、乗り物に乗って自己表現/自己陶酔するという精神の基礎構造は全く同じです。人は乗り物に乗ると同時に、その乗り物が醸すイメージやファンタジーにも乗っているのです。前置きが長くなりましたが、最近僕は仕事の都合で車のCMを大量に見ているのです。車のCMというのは、ほとんどはその車がドライバーにどのようなファンタジーを提供するか、というイメージを展開しているものが多く、大変興味深く拝見しているのですが、今回はそのなかで僕がいろんな意味でグッと来たCMをホロ酔いで(プレミアムモルツと日本酒摂取済み)紹介しようと思います。



これぞ車の典型的なファンタジーです。綺麗なパツキンのネーチャンを隣に乗せて、高級なホテルに入って、VIPのパーティに行って、イチャイチャする、最高の休日。下手するとギラギラでベタ過でドン引きしてしまうようなバブル的世界観を、ドライな映像とけだるい音楽、スピーディな編集でおしゃれにまとめているのは奇跡のバランスです、っていうか外人だから許されるんだよなーこのカッコよさは。



圧倒的なスピード感とギラギラ感。「○○搭載!!」などと機能説明するCMをぶっ飛ばすかのように、ひたすらハイテンポで展開されるイメージ映像の嵐。また現れるグラサンのパツキンネーチャンのモチーフ。
スピードとギラギラとエロ、それがこの車だ!いいから乗れ!という勢いが最高です。僕が多くの車CMを見た中で一番「カッコいい!」と思ったのはコレだなぁ。



もはや車は関係ありません。ディレクターが作りたい映像にちょっと車の映像を挟んだだけです。この車に「お前はビョークか!」とツッコミ入れたいです。
でもこれでよいのです。なぜなら車のCMはその車がどんなファンタジーを提供するかというイメージをひたすらに展開すればよいのですから。 LEXUS ISに乗ったらビョークになれるよ!はーかっこいい。



特筆すべきは、こんな傍らにチャンネー乗せる系のスタイリングな車を「ファミリー車」として表現していることです。今までのCMと異なり、ドライバーはおとうさんとおかあさん。傍らに乗せるのはチャンネーではなくこどもたち。
個人的にはかーちゃんと娘がルーフをオープンにして走るシーンがすてきだなぁと思います。あとちょっと曇った海での夕方の海水浴とか、リアルだなぁと。
日常なのに最後まで見てるとちょっと泣けてくるような、よいCMだと思います。

僕個人は車を持ちたいとかあまり思わないし、むしろ自転車が欲しいのですが、仕事で車について長く調べたり接したりしているうちに、車という文化はとても興味深いし、なくなってほしくないなぁ、と思うようになりました。
いろんな車があっていろんな形があって、それぞれが提供するライフスタイルやイメージがバラエティ豊かで、とても奥深い世界なのです。もっと詳しくなるとエンジニアリング的な話になるのですが、そこらへんは知りません。
全然最後まとまりませんが、みなさんちょっと車にも興味をもってみてください、すごく楽しい世界っぽいですよ、ということをお知らせいたします。それではごきげんよう。

乗るためのもの

松尾 慧
自由業

乗りもの。
乗るためのもの。
自動車、自転車、飛行機、電車、船。
この過ぎて行く時間でさえ乗りもの。
自分で踏み出す足も乗りもの。

それに乗るということはどこかに向かうということ。
理由とか目的があってもなくてもいい。
その今いる場所とは違う景色、香り、音を感じることができる。
それは乗りものによっても様々。
移動した距離とか、かかった時間だとかそんなこともどうでもいい。
踏み出せば、もうそこは別世界。

立ち止まることは好きだけど、留まることは好きではない。
できることなら、風のようにフラフラと色々な場所に行って、見て、触れて、感じて、噛み締めたい。
別に何かを手に入れて自分のものにしたいわけじゃない。
孤独を楽しみたいのと、自分らしくありたいだけ。
そして今いる場所に「行ってきます」と「ただいま」を言えて、そこに残る場所から「行ってらっしゃい」と「おかえり」が聞ける。
そして出会った場所に「また会おう」っていう大好きな言葉を伝えることができる。
その感覚が自分のすべてだって思う。
だから乗りものは必要不可欠。
踏み出す足はいつだって、始めの一歩。
そうやって僕は毎日を送る。
乗りものではなく、乗るためのものなんだって。

っていう放浪癖のお話。

「何かを考える時は移動中に。」

平原慎士
Musician

物思いにふけるなら、人それぞれいろんな場所や時間があるだろう。
僕が思い浮かべるのは、どこかへの移動中が一番多い。
その中でも、新幹線と車の後部座席、窓側が特に良い。

その理由ははっきりしている。

向かう先に目的(地)があり、且つ自分はボケっとしていられるから。

横道にそれるけれど、以前「東洋人の思考形態は分散型が多い」ということを聞いた。
噛み砕いて言うと、頭の中で物事をいろんなベクトルに広げる傾向があるということだそうだ。
禅の精神や瞑想という文化があるぐらいだし。

ただ個人的には動かずにジッと考えるのは苦手で、できるなら何かしておきたい。

その、動きながら考えるという両方の要求を応えてくれる場所が、前述の二つ。
あえていうなら、座席も進行方向を向いていて集中しやすい。

ぼんやりと何か考えていても、どこかには着く。そんな安心感がいいですね。

share the sun Vol.02を終えて。

Post-performance talk