はじまりはいつも雨
松尾 慧
自由業
はじまりからはじまりのタイトルが某アーティストの名曲から引用するのもどうかと思うけど、そこはご愛嬌。
実際、旅をスタートした初日、旅を終えたかった日、計画して遊びに行くのを楽しみにしていた日、ここぞという時はいつだって雨だったみたいに自分は生粋の雨男という背景もあるので…。
だからといって、雨が嫌いなわけではない。
雨だったから楽しかったシチュエーションなんていくらでもあるし、結果的によかったって思うことも多々あるから、むしろ好きなほう。
部屋を暗くした後、雨音に交えてお酒を飲みながら自分の好きな曲を聞く、そんなナルシシズム全開な空間は大好物。
突然の雨は濡れるものという欧米人の考え方にも賛同するし。
だからといって、雨にまつわる小粋なお話がないところが残念というか、まだまだ人生楽しみきってないところでしょうか。
さて、ここまで読んでみて「だから?」と思ったことではないだろうか。
「はじまり」がテーマなのに、「雨」のことをひたすら薄っぺらに語る。
そして、いきなり脈略ないままにこの文章を組み合わせ、終着点のない文章をどこでおさまりをつけたらいいかわからないままに、ひたすら言い訳みたいなことをならべる。
自分なりの自慰行為の一つだって思う。
言いたい事を言った分不安なるからこその現れ。
人に好かれることを望むより、人に嫌われることに恐れる自分らしい1面。
実際のところは言いたいことも、言葉にできてないのかもしれない。
といった感じでいきなり文章のテンションを変えると、読み手側で「この人は悩んでるとか、考え過ぎなんじゃないか」って思う人もきっといると思う。
というか、単純に「危ないとか怖い」と思うのが普通だし、これを書いた本人もそう思われることを理解した上なのでご了承くださいw
最終的に何が言いたいかというと、特に何もないという事。
ありがたい事に文字を扱う仕事をさせてもらっているので、普段は読み手のこと意識をした文章を書いています。さも、大作を手がけてるみたいなこと言ってますが、そんなたいした事はやっていないのでそこはご注意ください…。
せっかくのこういう場なので好き勝手に書いて、好き勝手に思ってもらおうと思った結果の文章でした。
自分としては『誰も受け入れない世界を築くだけ築いて、そこを俯瞰的に見える立ち位置で「自分は全部わかってますよ」みたいな感じでいるのが好きなんだって思う』みたいな頭の中ことを文章にできたらいいなと思いましたが、なかなか難しいことで。
読み手あってこその文章。
果たして、どんな感想が生まれるのか。
「はじまり」というテーマには気持ち半ばでかけ離れた感じもありますが、終わりよければはじまりのグチャグチャもよしということで。
お粗末さまでした。
はじまり
椋野 裕貴
stylist
「はい…。」
「合わせにいったね。もっと自分を出していきなよ(笑)」
「……。」
「仕事は悲しくもくだらない世界だけど、嫌われてもいいから好きにやりな。
本気で考えて、自分だけの意見で。
今回の媒体、あなたという人間が着るということ、
どうやると一番格好いいかをわがままに考えて提案したものが使われなくてもいい。
その一回でその仕事が終わるかもしれない。
でも、それだけ本気で考えて提案したものを聞いて、嫌いになる人はいない。
作品のことを延々と話している。
そうできるものを作ろうよ。」
これから始まりだ。
◯
おくふじ あゆ美
ー
―
見たい音のために言葉を
聞きたい形のために言葉を
触れたい色のために言葉を
昨日と夢のための言葉を
大きな月と林檎を一つ
夜の上
左手に持つ君のリンゴが恋しい
揺らいでいる
揺らいでいながら
風の下で君が一口かじる前に
―
花が音をもち、水が形をもち、鳥が色をもつような
言葉の世界が好きです。
これは、1つの実験でもあります。
表面のザラザラした部分はサラリーマンと呼びます。
忘れものはとりにいかないことにしました。
世界と接するレイヤーを1枚なくしました。
⑴ 白と黒をもつ想像力の中で青色のつくりかたを知っていますか。
⑵ 枠の中に下手に自分を書き加えても、
上手にはみ出せないのはどうしてですか。
⑶ 言葉をかき集めても夜にはかなわないから、
知らないふりして今日の飛びこえてもいいですか。
過去のメランコリズムに感化され続けるような日々は。
妙な劣等感を抱えながら、
負と正のイメージが混ざり合うような日々は。
目の前の流れに花びら1枚浮かべられず、
着古したセーターの袖口のような日々は。
身体に瑞々しい光が流れ込んだかと思うと
涙が溢れていました。
わかりやすい時間の区切れと
わかりにくい心情の変化を抱えながらも
内包された世界には規則正しく夜が降りるから
1ピクセルの線を引いてここからはじまりとしようか。
「ごあいさつ」
石黒 宗登
Gamarjobat!!!
SHARE THE SUN創刊に際しまして、祝辞と感謝の言葉を述べさせていただきます。
まず、ここにSHARE THE SUNというプロジェクトが創設されましたことありがとうございます。
私は、普段はしがないビジネスパーソンとして労働しておりますservant balancerの宗登と申します。
まず、とある深夜にこのプロジェクトを創設された数名のcharismaから、このプロジェクトのコンセプトというのか、主軸というのかを伺ったときは「やはり、そうなりますよね。とうとう来ましたか」というのが直感でした。
そのときの彼らのプレゼンの中に、「人と人のつながりが目まぐるしく広がり、さらに壮大になっていこうとしていて、これを何か形にしたい」という旨の話があったように記憶しています。(勘違いでしたら失礼します)それで、私も最近の人間関係の広がりには驚きと喜びであり、不思議さを感じています。ただ、尊敬できる方々に巡り合えることは非常に尊いことであって、いつでも起こりうるような当たり前ことでないということも理解しています。
次に、SHERE THE SUNに関わる方々と接しているとき、ビジネスパーソンとして労働しているとき、はたまた別の場面で活動しているとき、私自身の見た目や感性は変わらないはずですが、アウトプットの表現や態度はそれぞれ異なっていて、何が自分自身なのか、宗登を宗登たらしめているものは何なのかという不安があります。ですから、ミーティングしているときでさえも、思っていることを伝えているのでしょうが、私は本当にそう思っているのかという疑問を抱いています。
ということで、要するになにが言いたいのかというと、このプロジェクトに参加させていただくことに感謝や喜びを感じていますが、それは真実なのか。
そんな、奇妙な思惑のあるものがこんな高邁なプロジェクトに参加して良いのかということです。
このように言っている本人でさえ、何が言いたいのか完全な理解はできていません。
おそらく、言いたいことはあるのでしょうけれど、自分の言葉が無さ過ぎて悩んでいるからなのではありませんか。
それでは突然ですが、今回はこのあたりで失礼いたします。
お相手はservant balancer宗登でした。
ありがとうございました。
"No Life, No Music."
平原 慎士
Musician
その日はロイ・ハーグローブという世界で最も有名なジャズトランペッターが
凱旋ライブを行う予定だった。テキサスのダラス出身ということもあり、
地元馴染みのミュージシャン達との演奏に、夜の会場には人が溢れていた。
そんなライブが始まる前の出来事だった。
いかにも悪いギャングが出てきそうな都会の片隅にある、
黒人しかいないジャズクラブに行くと、店の前で白人の連邦警察が立っていた。
話を聞くと「今日のコンサートは中止だ。」と言う。
理由もよくわからないまま立ち往生していると、店主の誘導で
中に入ることができた。
何やら、昨日、一昨日と 警察がきて"too many people"という理由で
その店を閉めようとしているらしい。
世界的なミュージシャンの帰郷ライブを観に、 たくさんの人が
そのクラブに来たことで勝手に 何かあると目をつけられたいうことだった。
(確かに店の外観は怪しい。中はもっと怪しい。)
黒人のオーナーはそんな言い分に対して、
「 俺達の音楽を奪おうしている。俺は彼らと闘うことにした。 」と
マイクを持っていきなり観客の前で演説を始めた。
みんなはここでJAZZを聴いててくれ。と、そのまま玄関に向かい、
警察と喧嘩を始めたのだった。
50年以上も前、人種差別や偏見で黒人のジャズクラブはひどい目に
あっていた。あるミュージシャンの自叙伝にそう書いてあった。
2010年(当時)、そんなことがまだテキサスの店の玄関で起きても
中では 黒人ミュージシャン達が何も言わず、まるで音楽で主張するかのように
演奏を始める姿をみて、 熱い何かが込み上げてきた。
まさに、生きた音楽。
おもちゃ
chama
映像制作
映像を仕事としてやっていこうと思ったのは大学4回生でした。
僕は大学ではプロダクトデザイン(家具・家電・雑貨など)の勉強をしていたのですが、70点ぐらいの「まぁ、これなら及第点だな」ぐらいのモノを課題として提出していた僕にとって、好きだったはずのデザインは作業になってしまっていました。
なぜ、プロダクトから映像に進む事になったのかというと、きっかけはあるMVでした。
ジャミロクワイのPV【virtual insanity】を初めて見たとき、その映像のギミックに夢中になりました。
CGを使っていないんだけどどうやっているのかわからない不思議な映像。仕組みがわかるまで何度も何度も繰り返し見ました。
TV、映画、VP(企業のプロモーション映像など)、CM、PVなど、映像という大きな括りはあるけれど、一番自由な発想で面白い事が出来るのはPVだと確信し、とことんまで突き詰めてやってくる事の出来なかったプロダクトから逃げ出し、PV業界での就活を始めました。
しかし、昨日今日思いついて就活を始めたところで決まるはずもなく、どこにも内定をもらえずあっさり卒業してしまった僕は、少しでも勉強出来ればとTVのカメラアシスタントのアルバイトをし、お金が貯まったところで就活を始め、東京に出てきました。
それから本当にいろんな事があって、今現在も映像の仕事をしています。
基本的に熱し易く冷め易い性格で、これまで様々な事をしてきましたが、
映像だけはどんなにしんどくて辞めたいと思っても2年近く持ち(本当はもっと早く辞めたかったのです)、嫌になって辞めたはずなのにまた同じ映像の仕事を始め、今の会社に勤め始めて時間に余裕が出来たので趣味でも機材を揃えて映像制作をしているなんて昔の自分からは想像も出来ませんでした。
まだこれから先、どうなるかはわかりませんがあのPVを見たことが、
それから何年も遊ぶ事の出来るおもちゃを見つけたはじまりだったのだと思います。
http://chmfactory.tumblr.com
日高 太一
シルクスクリーンプリント屋
ー 暗中模索の中で はじまり というテーマについて文章を書かせるサディスティックな主催者の為にも、何かをここに綴り残します。今を切り抜いて残す事を前進と捉えて ー
はじまり が始まった。
思えば僕はたくさんのことを始めたことがある。
たとえば、仕事。
マクドナルドに始まり、ガソリンスタンド、バーテンダー、年賀状配達、飲食店の配達ドライバー、塗装、結婚式のウェイター、ヤミ金融のビラ配り、裏サイトの動画編集、マルチ購の化粧品販売、試供品配り、通行人カウント、コンビニ、ピザの配達。
そして今は印刷業の仕事。
たくさんの仕事を通して学んだ事は、始まりが最も大事ということ。
ナメられてはいけない。終わり良ければすべて良しというが、始まりが良ければある程度は調子よく行く。あとはどれだけ向上するかの意識が必要だ。
始めた事は仕事以外にも、趣味もある。製作関係やイベントも、それだ。
そして今、たくさん始めてきた事は、印刷業という仕事と、シルクスクリーンという趣味の二つに絞られた。いや、年齢と共に、絞らざるをえない状況であった。たくさんの始まりの可能性から、これらだけを続けるという事に、僕はすこし、プライドを持つ。始まりにプライドは無く、続ける事によりプライドを得た。
25年間のたくさんの始まりは、この二つのために養われたと思いたい。
そして、これからたくさんの出会いが始まりそうなこのSHARE THE SUNといプロジェクトなは、さらに自分を成長させる糧として大切にしていきたいと思う。 2013.04.27
はじまり
大谷 哲朗
俳優
映画もそう。気になるものを蔦屋で借り、缶チューハイとつまみを買って家に帰る。家着に着替えこたつに座る。ワクワク、、いや、ワクワクワクしながら三角の下に横
棒を引っ張ったようなボタンを押し、出てきた堅そうな舌ベロに円盤をのせ、再び三角の下に横棒引っ張ったようなボタンを押し、三角を横長にしたボタンを押す。そうしてプシュっと缶チューハイのプルタブを引いたり押したりする。
はじまる
その瞬間が何より楽しい。映画の場合、たいてい15分前後の予告編である程度疲れ、そしてフルスロットルなテンションもローギアに入りある意味冷静な目で本編を迎えるのだが。
僕は目に見えない実感できないものは信じられないし後回しにしたりすることが多い。
結果が物理的に目で見えるものに意義を感じ力を注ぐ。分かりやすく言えば掃除が好きで薬は嫌いだ。掃除はゴミを拾えばキレイになるのが目でわかる。薬は飲んでも果たしてその結果治ったのかもともと治る時間だったのか分からないではないか。
例えば仕事のプロジェクトだったり映画もそう、飲み会の乾杯だってそう。"はじまり"が目に見えるものは僕だけでなく、人間誰しもワクワクしたり勉強したり前もって準備をする。
しかし目に見えないものが"はじまる"時、たいていの人が準備をしない。準備、心構えなしに"はじまる"何かは時にものすごい衝撃を人に与える。それはもちろん喜びであったり、悲しみにもなりうるが。その目に見えないものの為に、いかに準備をしておくか。目に見えないものの可能性を常に想像できるか。それができたときにはまた自分の知らないなにかが"はじまる"のではないか。
流れに身を任せるとは楽観的にその時々のTPOに合わせるのではなく、これでもかというくらいに想像し、準備しても越えてくる何かに遭ったときに使う言葉だ。
だから僕も前もって準備をしておこう。もし僕が犬を飼った時のために名前を考えた。
恥丸ってね。
バスティン・チャンドラーのワールドピース
~めまぐるしい終わりと平穏なはじまり~
風谷 哲縁
作家
遅い。もう20分は経つ。だいたい手袋の1つや2つくらい放っておけよ。指紋が割り出せるわけでもあるまい。そんな手袋のために世界平和のための1つの重要かつ貴重な命を落とすことになるんだぞ。ここまで来るのにどれだけの時間とマネーと犠牲を払ってきたんだと思っているんだ。あと2分だ。世が明けてくるといろいろ面倒なことが増えてくる。
階段を昇る音が聞こえる。もの凄い勢いと、それでいて慎重な足取り。ウォルディじゃない。もしウォルディならなりふり構わずこの部屋に飛び込んできて、申し訳ないと言いながら喜びと安堵を隠しきれないような表情をしているだろう。
誰だ、、、
部屋に隠れる場所と呼べるものはどこにもない。おそらく会議のためだけの部屋だろう。
ならば。
ガチャ
想像通りだった。会ったこともない相手だが足音でその体格や性格を想像していたのだ。まず奇襲をかけてくるようなやつではないことは分かっていた。だから正面に立っていたのだ。真っ正面に、仁王立ちで。
「やられた・・・・。」
俺はそう探りをいれてみた。
「む、、じゃあ奴らは逃げたのか?」
手に銃を持った男がそう言って銃をおろした。目線が首の辺りに動く。俺は右の首元をアピールした。男は俺の首元のタトゥを確認して銃をしまった。
「ああ、見事に撒かれた。」
余計なことはしゃべらないことに越したことはない。男は左手で携帯電話を取り出し喋り始めた。
「やられました。・・・・・すみません。・・・・はい・・・・・・はい、すぐ行きます。」
携帯電話を切り、舌打ちをしてからこう俺に言った。
「おい、見ない顔だが名前は?」
「バスティン。」
ファーストネームだけ告げてからオレは男の名前も聞いておいた。
チンと名乗ったその男が振り返りドアノブに手をかけようとしたところ反対側からドアが開いた。
「あった、あった!階段のところ、、、、」
思わず溜め息をついてしまった。さすがにウォルディも気づいたみたいだ、状況が芳しくないことに。
そこからは早かった。俺が足を払ったのを見て瞬間的にウォルディが相手の脳天にかかとを落としてノックアウトだ。
「誰だこいつ?」
「チンだ。だから言っただろ首にタトゥを書いとけって。」
「すまなかったって。でも見つかってよかったぜ。」
そういって大事そうに黒い牛の革の手袋にキッスをしたウォルディに目配せをしてその部屋を後にした。
裏口から出た俺たちはあらかじめフタを軽いものに変えておいたマンホールからダスク川に出た。遠くの方でまだうるさく男たちの声がする。
「そんな大事なモノなら仕事に持ってくるな。」
「サンディが仕事用に買ってくれたんだ。イタリアの有名な革ブランドだぜ。」
「なら落とすんじゃねぇ。」
「そんなカッカすんなって。とにかく一杯やろう。説教はそのときに聞くよ。」
「一杯だけだぞ。ファイルをFBIに渡すまでが遠足だ。」
「よし決まり。トムのオヤジ、まだ店開けってかな。」
空は目覚ましがなる前に目覚めてしまったかのような余裕をもって朝を届ける準備を初めている。
また、平穏な一日が始まる。
はじめまして
カロ (yui)
SPACEの住人
はじめましての方も、そうでない方も、こんにちは。
このShare The Sun のフォーマットにある【自分は何者なのか】という項目を見て、哲学的な質問だなあと思いながら、なんと書こうか迷ってしまって、はや小一時間。
どんな文章を書こうかまだ決めていないのですが、締切時間が迫ってきてしまったので、Share The Sun のはじまりにきちんと間に合うように、とりあえずなにか書きはじめなければ、と焦っています。
テーマにちなんで、自己紹介のかわりに最近のわたしの「はじまり。」について書こうと思います。
この3月に大学院の修士課程を修了して、4月から社会人生活がはじまりました。
はたらきはじめてあっという間に1ヶ月が過ぎようとしていて、毎朝同じ時間に起きて出勤する生活リズムや満員電車でうまくポジションをとるコツも身に付いてきた今日この頃です。
この春からの仕事は今まで自分が勉強してきたこと、やりたいこととは少し畑違いだということもあって、悩みや戸惑いもなくはないけれど、職場や仕事にもだんだんとなれてきました。それに、新しいことを覚えることは大変だけれど、そのぶん新鮮でなんだかんだ面白がっています。
今までは自己紹介で、大学院生です。とか、学生です。と言って、自分の勉強していることを説明したり、自分のやっている活動の説明したりすることが多くて、そうやって説明することに慣れていたのですが、もう今までのように自分を説明できなくなってしまったので「自分は何者なのか」という問いに迷ってしまったのでした。
今の仕事で自分を説明できそうにないなあっていう気持ちが半分、今の仕事で自分を説明したくないなあっていう気持ちがもう半分。
(ちなみに、今までのように自己紹介すると、大学院では文化人類学を専攻していて、アートマネジメントの勉強をしていて、現代美術に興味があって、アートプロジェクトでボランティアをしたり、美術館でインターンをしたりしていて、グラフィックデザインを勉強していたこともあって、写真を撮ることと旅行することが好きです。と、こんな感じです)
それで、今回は、自分を表す肩書きとして「SPACEの住人」と書きました。
SPACEとは、私が友達と4人で暮らしている一軒家に付けた名前です。
いろんな人が集まって、そこから新しいつながりやわくわくするアイデアが生まれて、自分たちの手でわくわくを実現させることができる場所がほしい、そういう場所をつくりたい。この場所なら、それができるかも。そんな想いからこの家に暮らしはじめました。
去年の3月から暮らしはじめて、はや1年。
去年はできなかったこと、これからやってみたいこと、誰かと一緒に実現させたいこと、SPACEでも新しくはじめていきたいと思っています。
あーあ、なんだかとりとめのない文章になってしまいました。
はじまりをきちんとはじめるのって難しいですね。
おわり←はじまり
稲田 拓郎
Webデザイナー
おわり←はじまり
はじまりとはなんだろうか。
share the sunのテーマになってから、もやもや考えていた。
この世に生まれたこと。
やる気が出た瞬間。
人生の中で2点を切り取ったとき、その最初の点。
そんな、無駄に長い文章が書けそうなことを考えながら、
おもしろい解釈とかできないかなぁと考えていたとき、
すごい発見をしてしまった。
どこからが、はじまりなんだろう。
この疑問が、発見のはじまりだった。
たとえば、このshare the sunのはじまりはどこだろう。
みんなに告知したところか、ふたりで話し合いをしているときか、
バルちゃんの頭に浮かんだときか、一緒に住み始めたときか、高校の昼休みか。
恐らく全てがshare the sunへ続くことであり、
どこか1点を抜き出して"はじまり"と言うことは難しいだろう。
ただ、見方を変えると、share the sunを始めて、文章を書き始めている"今"だからこそ、
"はじまり"というものが"どこ"だったのかを考えることができる。
つまり、今まで僕は、
「はじまり→おわり」と思っていたけど、実は
「おわり←はじまり」であり、
"はじまり"は結果から定義する創造の存在で、
何かしらの"結果"が存在しない限り、"はじまり"も存在しないのだ。
たまに友達と話してると、どこで出会ったのが最初だっけ?という話題になる。
これは、今現在、友達という"結果"が生まれているから、"最初"を探すことができる。
非常に当たり前すぎる発見で申し訳ないけど、
これは個人的に大発見なのです。
はじまりに"気づく"ことは難しい。
それは、その時まだはじまってないかもしれないから。
けど、はじまりを"つくる"のは簡単だ。
いつかその瞬間を、"はじまり"だったと振り返られるように、がんばるだけでいいから。
書いた後だから、「この疑問がはじまりだった。」ということが分かる。
同じように、いつか「share the sunがはじまりだった」と言えるように、がんばろうと思う。
そして、みんながそう思ってくれるような、楽しいものになればいいなぁと思う。
庭を見ると、たまたま花が咲いたものだけ、種があったことを知る。
小さい如雨露くらいは準備しておこう。
ひとつでも多くの花を、咲かせられるように。
-Written by 17D.
-April , 2013
はじまり
ようこ
SUCRE | ピアノ講師
新しいことをはじめるとき、とってもドキドキします。
ドキドキしない人もいるのかなぁ。
わたしは、「よし、はじめる!」って決まるまでにも、やっぱりやめておこうか、いや、やろうか、、、って色々と悩んで、やっとのことで「はじまる」ことが多いです。
未知のことへの不安もありますが、「はじめる」ってことは、ある程度「つづける」ってことだと思ってしまいます。
だから、はじめる前にはたくさん悩みます。
できるだけ終わらせたくないから。
この文章をかくときも、やめようかな、、どうしよう、、と、悩んでから「はじめる」ことにしました。
悩むのなんてムダムダ。
まずはやってみなよってゆう人に、とっても憧れます。
まわりが呆れるくらい、わたしは臆病者です。
そんなわたしが、これまでに悩まずにはじめたことがただ一つあります。
ピアノです。
ピアノを弾きはじめたのは3歳のとき。
まだ意識があまりなくって、でも気づいたら自宅にあったピアノを弾きはじめていました。
誰かに弾けと言われたわけでもなく、
多分なんにも考えずにピアノにさわっていました。
ピアノへの憧れとかもまったくなく。ただそこにピアノがあったから弾いていました。
それから20年以上。
毎日ピアノを弾いて、勉強して、ピアノを中心とした生活をしてきました。
特に悩まずにはじめたことですが、なんだかんだいって長い付き合いです。
もしわたしが三歳のときにピアノと出会わなかったら、わたしはいま何をしていたのかなぁ。
そのとき家にあったものがサッカーボールだったら、サッカーをやってたのかなぁ。
一概に、小さな時に出会ったものだからつづけられるってことが言いたいわけではないですが、、、
なんとなく、悩むひまもなく、出会い、はじまってしまうものには、神秘を感じてしまいます。
おわり。
『はじまりのこと』
ai yamamoto
designer
はじまりのこと
はじまりのはじまり、はじまり
「はじまりから憶うこと」
はじまり から連想されるものをなんとなく憶ってみた。
ー 朝焼け、夜明け前、年始、新学期、引っ越し、結婚、出発点、芽生え、発端、序章、プロローグ etc.. ー
なにかにチャレンジする時、きっかけや転機、新しい何かが生まれるとか、その生まれる予感、予兆、
転機となるようなことと。どうやら、わたしの"はじまり"のイメージは、そんなものたちと似ているようだ。
「なにかが、はじまる。」
新しいことがはじまるのか、古いことがはじまるのかもしれないし、或いは、中断されていたことが再び動き出すのかもしれない。
古くとも、新しくとも、はじまり、シフトしていく。ただ、動きだし、なにかがかわる、僅かでもなにかが移ろう。
「はじまりがはじまりを生む。」
はじまり、とは、これから(何かが)生まれるサイン(=合図)のようだなと考える。
そしてそのサインが発せられて、様々な可能性が出発していくようだ。
「はじまり/もっと遭遇」
何もなかったところから、はじまりをスタートさせることで導かれるものがあるのなら
流れるように流されていくこともできる。
ときどき周りの景色を意識したり、悠々とどこに向うのだろうと、予想することもできる。
はじまりをスタートしたことで生まれてくるものが、ワクワクさせてくれる存在であったなら。
それを、より多く求めたい気持ちが湧き出てくる不思議に、もっともっと遭遇したいような。
「はじまりのはじまり」
わたしのはじまりは、あなたのはじまりと繋がっているかもしれない。
わたしのはじまりは、わたしのいつかのはじまりと繋がっているかもしれない。
はじまりの端は、はじまりのはじまり。
「はじまり/偶然/必然」
気づかずに、そういえば、はじまっていた、偶然にも。
気づかなかっただけの、はじまりは、あなたのすぐそばにあるかもしれない。
偶然、もしかしたら、必然に。
「はじまりの向かう先」
さて、はて、はじまりはどうに行くのでしょうか。
はじまりの行く先の広がる向こうはどんな景色なのでしょう。
はじまり
chiemi shigeta
最近、人生の岐路に立つような出来事が重なって、いまやっと地に足着いた気分です。
わたしは仕事の片手間、時間をみつけては刺繍して小物やアクセサリーを作っているのだけど、さて、なんで刺繍をはじめたんだっけなと思い返してみました。
もともとは、糸や布を使って絵を描こうと思ったからだった。
わたしの美術の先生でもあり陶器のブランドcapiのオーナー西村先生が、下関にギャラリーをオープンさせました。そこに飾る絵を描いてほしいと言われたのがきっかけです。
ただ単に絵があまり得意じゃなかったというのもあったから、渡されたベニヤに生地を貼り付けたりその生地にスパングルを縫い付けたり、刺繍した人の顔とかをコラージュしました。
ギャラリーでそれを観てくれた人が、この刺繍の部分だけ欲しいって言ってくれたから、ブローチやピンの小物に落とし込み、今に至ります。
そんなことも忘れかけていたわたし。
そもそもは、誰かに贈るために作りはじめたんだ。誰かの手に渡って、笑顔になってもらえる、それはつくり手にとって、この上なく嬉しいことですよね。
いま、たまに立ち止まり初心を振り返ってみると見えてくることがあります。いつまでも忘れてはならない、はじめたころの気持ち。大切にしたいことです。
そしてこれから。
夏から新しい仕事をすることが決まりました。これから、わたしの新しい生活がはじまるんだ。
どきどき。
友達に、環境に恵まれてわたしは幸せ者です。
記念すべき初めてのshare the sun、これから拙い文章を綴っていきます。
改めて、宜しくおねがいします。
chiemi shigeta
はじまりはじまり。
瀬戸 えり子
はじまりはじまり。
春は、心踊るような陽気に無駄にエネルギーの溢れる日もあれば、
時々ピリっと寒い日には頭をヒートダウンしたりして、
何かを始めるにはとてもぴったりな季節だと毎年思う。
今年の春は、私にも「転職」という大きなはじまりがありました。
最初はそれがゴールだと思って目指していたけれど、いざ手にしてみるとそれは「はじまり」でした。
そして、自分の手で掴んだと思っていたその「はじまり」が、
私に訪れたのは、わたしを信じてくれる人がいたからでした。
たとえば、会話をすること、電車にのること、友達になること、ご飯を食べること、仕事をもらうこと。
大げさかもしれないけど、日常の中のすごくちいさなできごとも、
「信じている」ことを前提として成立していて、世界が周っている。
会話の相手を信じてるから私は言葉を発し、電車は安全で目的地に連れていってくれると信じているから乗ることができて、きっと会社は私が会社にとってプラスに働くと信じているからメンバーとして迎えてくれた。
できごとのはじまりは相手を信じることから始まっていて、
わたしがスタート地点に立てたということは、誰かが信じてくれて、与えてくれたチャンスなんだと思う。
一人のような気がしていたはじまりも、他者からの信用や信頼や期待があってのことだと知った最近。
私の東京第二章が、はじまりました。